About me
野島充恵のこと4歳からモダンバレエ、小学校4年生からピアノ、中学校2年生からマリンバを始める。
昭和音楽大学器楽学科打楽器専攻を卒業。
卒業後は横浜市消防音楽隊に入隊。
吹奏楽での演奏とマーチングのカラーガード(ストレートトランペットを持ってパフォーマンスする部隊)の訓練に明け暮れ、ドラムメジャー (統括・指導者)として選抜。年間約180回の本番をこなす。
5年間の契約満期により、27歳で退職。
その後、フリー打楽器奏者として活動。吹奏楽やオーケストラのエキストラおよび吹奏楽部指導などをしながら、マリンバやオーケストラ、吹奏楽コンサートに累計50回程出演。
座間市演奏家連盟では2名のマリンバ奏者とグループを組み、マリンバトリオとして自主コンサートや依頼演奏、学校公演を行っている。
2022年、念願だったのじま音楽教室を立ち上げ、2026年6月現在生徒数約30名。
【ピアノは全ての楽器の基礎になる】
を信念に、ピアノとマリンバの指導をしている。
幼少期の生徒さんにはすぐに音が出せる小物打楽器を取り入れ、体を使ってリズムを感じる事で楽しく通えるレッスンを展開。
その他、基本的なリズムの読解や感じ方など、打楽器奏者ならではのリズムトレーニング法を取り入れたレッスンが大人にも好評。
コンクールやソロコンテストへの指導にも力を入れ、2026年度は日本クラシック音楽コンクール(マリンバ)に1名出場。
ピアドアコンクール(ピアノ)に2名出場し、2名とも本選進出。
生徒保護者からは
・「本人もとてもやる気に満ちており、楽しく通わせていただいています。いつもありがとうございます。」
・「子どもはレッスンを毎回楽しみにしており、「今日ピアノ?」と毎日聞いてきます。」
・「特性のある娘の状態にいつも柔軟に合わせてレッスンしてくださいます。決して無理強いしないので、親子共々安心しています。」
とのお声を。
大人の生徒さんからは
・「マリンバ曲のピアノ伴奏を先生が付けてくれるので、レッスンがとても楽しいです。」
・「うまく弾ける日も弾けない日もマリンバの音と先生のご指導で楽しい時間を過ごせています。」
・「練習不足のレッスンの当日は気が重いのですが、レッスン終了時は楽しくて次のレッスンが楽しみになります。」
とのお声をいただいている。
【未来の器楽奏者を増やす】をモットーに、日々レッスンを展開中。
日本マリンバ協会会員
座間市演奏家連盟器楽部会チーフ
マリンバグループ【レ・ローゼ】メンバー
Mitsue Nojima
mitsue nojima
Story
音楽との出会い
4歳から母の意向でモダンバレエを始めました。自ら「やりたい」と言った記憶はなく、母がもともと習わせる、と決めていたようです。
音楽に合せて踊ったり歌ったりするのが好きだったので、楽しく通っていたと推測しますが、正直あまり記憶がありません。
6歳くらいからは年に2回の発表会が楽しくて楽しくて。。。このころから、「ステージに立つ」って楽しいな、と思いはじめます。
6歳から、母の手ほどきにより、家で子供のバイエルを進めていきました。妹が先にピアノを習い始めていたので発表会を見に行ったのですが、そこで、 「私も舞台で弾きたい!!」という思いが溢れ、 小学校4年生の時に私も先生に付いてピアノを習い始めました。
同時期に、 通っていた小学校に金管バンド部が設立されました。
「 トランペットって何だろう??スネアドラムって太鼓の事なの??よくわかんないけどなんかかっこよさそう!!」
とあまりよく分からずに入部。マウスピースでの音出しにとても苦労しつつ、念願のトロンボーンを吹くことに。
ここでの活動で、 合奏の楽しさや素晴らしさ、 管楽器と打楽器のカッコよさを実感しました。
先生は怖くて有名な先生でしたが、 外部の様々な先生の指導機会にも恵まれ、 長野県代表に選出され、 東京厚生年金会館で演奏する機会がありました。
朝早くからバスに乗り、松本から約3時間。大都会に刺激を受け、それまで立ったことのない大きな舞台での演奏、もちろん緊張しました。冒頭に出てくるHi-Es(高いミのフラット)の音を外さないように。。。とドキドキして吹いていたのを覚えています。
演奏曲は「フニクリ・フニクラ」で、曲の途中で「ヤッホー」と叫ぶ場面があり、そこで会場の空気が一瞬ふっと緩んだように感じました。
その後も何度か演奏機会に恵まれ、「中学に行っても音楽をやりたいなあ」と漠然と思っていました。
中学吹奏楽部でパーカッションに配属
中学では、バスケ部と迷いつつ、知り合いの先輩に誘われ、 吹奏楽部に入部。実は小学校の金管バンド時代に、「スネアドラム(小太鼓)ってかっこいいなあ」と密かに憧れていました。パレードの時のドラムマーチやロール(ザーっという連打音)にすごく魅力を感じていて。。。また同じ打楽器の仲間の木琴や鉄琴にも興味があり、めでたくパーカッション担当となりました。
部活中はメトロノームとにらめっこしながら、 机で基礎打ちをする日々。 文化祭やコンクール等で演奏機会が増え、吹奏楽における打楽器のカッコよさに気づいたのがこの頃です。
クラリネットをはじめ、管楽器のパートには常に何人かいて、同じメロディーを吹いたりハモったりしている。でも打楽器は1つのパートに1人だけ。バスドラム、スネアドラム、シロフォン、トライアングル。。。どれをとってみても、数十人いるバンドの中で、音を出すのは私1人。そして、シンバルをたった1発鳴らすだけで空気が変わり、ティンパニでクレッシェンドをかけるだけで、バンド全体の盛り上がり度合いが一気にあがる。。。
“全てがソロ(1人)”という所にとてつもないカッコよさを見出した、そんな吹奏楽部時代でした。
このころから、「打楽器奏者になるにはどうしたらよいのか」を意識し始めます。また、ピアノも継続して習っていて、憧れだった“大地讃頌”の伴奏にも抜擢されました。
音大受験のための日々
高校入学と同時に音楽大学受験のための日々が始まります。中学時代に感じた“”打楽器奏者になりたい”という想いはより一層強くなり、本気で目指してみよう、と決めました。
とあるレッスンの日に、
「打楽器のプロにはどうやったらなれるのですか?」
と習っていたピアノの先生にとりあえず聞いてみました。先生は急な質問にびっくりされながらも、 「楽器のプロをめざすなら音楽大学に入るのが一番いいと思うよ」
と教えて下さいました。
ピアノの先生はご自身の母校である昭和音楽大学のつながりで、諏訪市在住のマリンバの先生を紹介してくれました。
意気揚々と諏訪に向かい、初めてマリンバの先生にお会いし、熱い気持ちをお話させていただきました。
しかしマリンバの先生の第一声は、
「今から音楽大学は無理じゃないかな。マリンバ受験はね、3歳4歳から始めた生徒さんたちがやっと合格するような世界なの。吹奏楽レベルではなく、ソロとしての実力がないと入れないのよ」
でした。
衝撃でした。私がマリンバという楽器を知ったのは中学校の時。にもかかわらず、3歳4歳からこの楽器を弾いている人たちがいるなんて。。。音楽大学なんて無理なのかも。。。
と諦めかけた瞬間、先生は続けてこう仰いました。
「でもあなたが本気でやりたい、プロになりたい、というなら来週からレッスンにいらっしゃい。その代わり、浪人は覚悟してね。もちろん部活動は禁止。すぐに楽器を購入してもらって」
と。 にこっと笑って仰いました。
高校では、部活動に入らず、受験のための練習一色の日々でした。
器楽学科の受験では、専攻楽器の他に副科ピアノやソルフェージュの試験もあり、ピアノ、ソルフェージュ、マリンバのレッスンと練習をひたすらこなす日々でした。
高校2年生の春には吹奏楽部の定期演奏会で、 カール・オルフの【カルミナ・ブラーナ】のピアノに抜擢されました。
舞台形式によるカンタータ、とされるこの曲は、当時はものすごく前衛的な音楽でした。ここで変拍子や不協和音に出会い、 新たな吹奏楽の魅力を改めて実感します。
家では防音のために吸音カーテンを購入したり、楽器を買ったり、いろいろ大変でしたが、コツコツと練習を積み、ギリギリではありますが、何とか受験レベルにはたどり着けた、そんな高校3年生でした。
音楽大学時代
何とか受験レベルまで昇りつめて昭和音楽大学を受験、合格し、晴れて昭和音楽 大学に通う事になりました。
松本を出て憧れの神奈川に1人暮らし。授業も楽しく、毎日充実していました。
大学の授業では、個人レッスンの他、吹奏楽やオーケストラ、アンサンブルの授業があり、日々忙しい毎日を送っていました。
師匠である打楽器の小島光先生は新日本フィルハーモニーの団員で、たまに先生の演奏を聞きに行ったりもしていました。
ステージでここぞ!という時にバスドラムを1発叩く姿は凛々しく、お腹の底まで響く深い音に感動したのを覚えています。
打楽器アンサンブルは大学で初めて学びましたが、音程のない太鼓類と音程のある鍵盤類を合体させるとこんなに素敵な音楽ができるんだな、と感激したのを覚えています。
また、オーケストラも初めて経験し、管楽器とは違う、弦楽器のしなやかな動きと響きに心が踊りました。
ただ、学校生活は充実していたものの、卒業後、どうやって生きていくのか、の答えは出せないまま大学4年の春を迎えました。
そんなある日、器楽棟の掲示板で
「打楽器奏者募集」の張り紙を見つけました。よく見ると“横浜市消防音楽隊 女性嘱託員 募集要項”とありました。
一体どんな団体なのか、友人や先輩に聞き、どうやらプロとして演奏している団体らしい、と分かり、受ける事にしました。
打楽器は私の他にあと2人ほど。
自由曲は4本マレットのマリンバソロ曲を選びましたが、それまで4本マレットで受験した人はいなかったらしく、試験官の隊員がみんな珍しそうに見入っていました。
横浜市消防音楽隊に入隊
採用試験に合格し、晴れて音楽隊員になりました。
憧れの横浜勤務にウキウキしながら満員の通勤電車に揺られ、消防局長から辞令を頂いた22歳の4月1日の事は、今でもとてもよく覚えています。
女性隊員は、【ポートエンジェルス119】という名称で活動しており、“ストレートトランペット”と呼ばれるバトンのようなものを使ったマーチング演技をするため、入隊後半年はステージには立てず、訓練や筋トレの日々を送りました。
統一美と規律をモチーフにした、スピード感あふれる演技を習得するべく、訓練に明け暮れました。正直、この頃は楽器をさらう暇などほとんどありませんでしたが、年に1度の定期演奏会だけは参加させてもらえました。
本番のステージに立ち、
「やっぱり演奏するっていいな。吹奏楽って楽しいな」
と音楽がよりいっそう好きになっていきました。
毎日の積み重ねのおかげで努力が認められ、 ドラムメジャー (統括・指導者)に選出されました。
年間180回の演奏やマーチングステージを日々こなし、5年間の任期満了をもって卒隊しました。
打楽器・マリンバ奏者として活動
音楽隊卒隊後は、フリー奏者としての活動をはじめていきました。
地元長野で行われる、新卒や若手奏者のための【若い芽のコンサート】、日本マリンバ協会が主催し、全国から奏者が集まる【マリンバフェスティバル】、昭和音楽大学同伶会が主催する【昭和音楽大学同伶会創設30周年記念コンサート】などに出演し、フリーマリンバ奏者として、1歩ずつあゆみ始めました。
のじま音楽教室開講
2022年に自宅を改装し、マリンバとピアノの音楽教室を開講しました。
ピアノは導入期からソナチネまで、マリンバは2本マレットから4本マレット、更には中高生のソロコンテストや音楽高校・音楽大学入試まで幅広く指導しています。
現在、生徒は5歳から70代までの30名。
【ピアノは全ての楽器の基礎になる】
という信念のもと、ピアノレッスンにも小物打楽器(ウッドブロックや鈴など、叩けばすぐ音が出る楽器)を取り入れ、リズムを体で感じながら表現する事を取り入れています。
これにより、なかなかピアノに向かえない、あるいは集中できないお子様も、ピアノに合せて体を動かす事で楽しく音楽に触れる時間を過ごしていただいています。
2026年、ピアドアコンクールにピアノ2名出場。
日本クラシック音楽コンクールにマリンバ1名出場。
現在、日本マリンバ協会会員
座間市演奏家連盟器楽部会チーフ
マリンバグループ【レ・ローゼ 】 メンバー
“未来の楽器奏者を増やす”事をモットーに、日々レッスンを展開しております。
演奏のご依頼も承っております。詳しくはお問い合わせください。

